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神戸地方裁判所 平成5年(ワ)1480号 判決

主文

一  被告西田廣美は原告に対し、金四五〇万八八二六円及びこれに対する平成五年九月一二日(不法行為後)から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告富士火災海上保険株式会社は原告に対し、前項の請求に関する判決が確定したときは、金四五〇万八八二六円及びこれに対する右確定の日の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告の被告富士火災海上保険株式会社に対するその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

二の損害金の起算日を一と同じくするほか主文一、二、四同旨

第二  事案の概要

本件は、交通事故により受傷した被害者に保険給付(療養の給付、以下同じ。)をした健康保険組合が、加害者に対する現在請求として、また、加害者の契約する自動車損害賠償責任保険及び自動車総合保険の損害保険会社に対する将来請求として、いずれも健康保険法六七条一項に基づく求償権(保険給付の対象者である被害者が加害者に対して有する損害賠償請求権の代位取得)を行使したのに対し、加害者並びに保険会社において、右の保険給付が症状固定後の治療を対象とするとして交通事故との因果関係を争い、かつ、被害者と加害者との間に成立した示談契約をもって抗弁する事案である。

一  基本的事実関係(争いのない事実等)

1  米田雅人(以下「米田」という。)は次の交通事故により傷害を受けた(以下「本件事故」という。)。

発生日時 昭和六三年七月一三日午後三時五〇分ころ

発生場所 兵庫県三木市志染町窟屋九九五番地の一 三木市道交差点

加害者 被告西田廣美(軽四輪自動車)

被害者 米田(自転車)

事故態様 出会い頭衝突

2  原告は健康保険法により設立された健康保険組合、米田はその被保険者である米田直樹の被扶養者(長男)であって原告の保険給付対象者であり、被告富士火災海上保険株式会社(以下「被告会社」という。)は加害者である被告西田廣美(以下「被告西田」という。)と同被告を被保険者とする自動車総合保険契約を締結する損害保険会社である。

そして、右自動車総合保険契約には「対人事故によって、被保険者の負担する法律上の損害賠償責任が発生したときは、損害賠償請求権は、被告会社が被保険者に対しててんぽ責任を負う限度において、被告会社に対し、損害賠償額の支払いを請求することができる。」旨の約定がある。

3  本件事故による米田の治療については、被告会社担当者の依頼により原告が保険給付をし、昭和六三年七月一三日から平成三年四月分までの給付の価格は一一〇五万六六六五円であるところ、健康保険法六七条一項に基づく原告の求償に対し、被告会社は米田の過失相殺を四割と認定し、その六割相当額である六六三万三九九九円の支払に応じ、原告も右過失割合による求償金の支払を受けてきた。

4  米田は本件事故により、①頭蓋骨骨折、右脳挫傷、脳内出血、外傷性水頭症、②側頭骨骨折、右鼓膜外傷、感音難聴、③右動眼神経麻痺、両視神経萎縮の傷害を受けたが、①、③については平成三年四月一九日、②については同年五月三〇日をもってそれぞれ症状固定と診断された。[甲第三ないし第五号証、弁論の全趣旨]

米田の後遺障害は、自賠法施行令二条別表後遺障害等級表一級に該当し、左上肢機能全廃、歩行不能、右聴力低下、高次精神機能低下(五、六歳のままで進歩しない。)及び視力、眼位障害が残存しているほか、外傷性てんかんが発症している。[甲第一ないし第四、第四八号証の三]

5  原告は米田に対し、3の保険給付に引き続き、平成三年五月分から平成五年四月分(二年間)の治療につき合計価格七五一万四七一一円の保険給付をし、被告らに対しその六割相当額である四五〇万八八二六円の求償をしたのが本件である。[甲第八、第一一号証、弁論の全趣旨]

6  ところが、被告西田と米田は、平成四年一〇月二八日、本件交通事故に基づく損害につき左記を要旨とする示談契約を締結し、被告会社は前記自動車総合保険契約に基づき、同年一一月一四日米田に対し示談金六二〇〇万円の支払を了した。(以下「本件示談契約」という。)

(一) 被告西田は米田に対し、本件交通事故に基づく後遺障害を含む一切の損害賠償金として、既払金(米田の兵庫県立のじぎく療育センターにおける平成四年九月三一日までの治療費を含む)のほか六二〇〇万円の支払義務のあることを認める。

(二) 当事者双方は、本件交通事故につき、(一)の示談条項のほか何ら債権債務のないことを相互に確認する。

二  争点に対する双方の主張

1  症状固定と損害賠償請求権

(一) 被告ら

症状固定とは、治療を継続してもそれ以上の改善が望めないことを意味するのであるから、米田が前記各傷害について症状固定と診断された後に受けた治療については、特段の事情のない限り、本件事故との間に相当因果関係がなく、その治療費について被告西田に対する損害賠償請求権を有しないから、原告がこれについて本件保険給付をしたとしても代位すべき損害賠償請求権は存在しないというべきところ、米田が、右症状固定後において、兵庫県立のじぎく療育センター(以下「センター」という。)並びに三木市民病院において受けている治療の内容は別紙のとおりであるところ、右はリハビリテーションを中心とする日常生活動作、移動能力の改善のための保存的治療が中心であり、また、投与された内服薬の効能からみても、右の加療がなければ症状が悪化し生命の維持に危険が生ずるというものではないから、これら治療は本件事故との間に相当因果関係は存在しない。

ちなみに、本件示談交渉において、米田は症状固定後の治療費の賠償を求め、被告西田は「将来の治療費」との項目で賠償額を算定しているが、それは、米田が症状固定後もセンターで治療を受け、示談交渉当時一か月約八万二〇〇〇円の費用を自己負担していると主張したため、被告西田において、現に米田が治療費を支出しているとの事実を考慮し、一か月八万円の割合による金員を賠償額算定に当たり考慮したというにすぎず、もとより、将来の治療費と本件事故との間に因果関係が存在することを認めたものではない。

(二) 原告

米田が症状固定の診断を受けたからといって、それ以後の治療と本件事故との相当因果関係を一律に否定する被告らの主張は承服できない。センターにおける治療は、運動療法、作業療法、言語療法、四肢ギプス包帯、薬剤投与(注射・内服・外用)という保存的加療と機能訓練であり、これら加療なくして米田を放置すれば、さらに症状は悪化し生命の維持さえ危ぶまれるものである。ちなみに、症状固定後の治療と本件事故との因果関係は担当医師もこれを認めているし、被告らも本件示談交渉において、将来における治療費(米田の自己負担分)、看護費を計上しているものである。

2  本件示談契約と損害賠償請求権

(一) 被告ら

米田は、本件示談契約により既払金を除く一切の損害賠償請求権を放棄したのであるから、代位の前提となる損害賠償請求権は消滅した。

(二) 原告

本件示談契約により放棄された損害賠償請求権は、健康保険給付と同一事由に基づく将来の治療費を含まず、これを除いた損害賠償請求権を放棄したものにすぎないから、被告らが原告の求償を拒絶すべき理由とならない。

すなわち、本件示談契約は被告会社の了解の下に成立したものであるが、この当時、被告会社は、米田が入院加療を受けており、被告会社担当者の依頼により原告が保険給付を継続していることを知悉していたのであるから、将来、原告から被告会社に求償請求がなされることを予測できたし、現に既給付分の一部についても原告から求償請求を受けていたものである。また、米田の代理人として本件示談契約に関与した弁護士の認識や、示談交渉における被告らの損害額の積算過程をみても、健康保険給付が継続されることを前提として本件示談契約が締結されたことが明らかである。

第三  争点に対する判断

一  初めに

本訴請求は、原告の平成三年五月分以降の保険給付に関する求償事案であるが、そのうち、平成三年五月分の給付については、事案の概要の②のとおり平成三年五月三〇日に至って症状固定した③の治療に係る分が含まれている。この分は症状固定前の治療に要した分であるから、当然被告らに対する求償請求が認められるべきであるが、①、③の症状固定日は平成三年四月一九日であるから、その治療に要した五月分の保険給付、並びに①ないし③の同年六月以降の治療に係る分が本件の争点となっている。

よって、以下、右の求償につき判断する。

二  争点1について

思うに、症状固定とは、医学的見地から、負傷に対して行なわれる医学上一般に承認された治療方法をもってしても、その効果が期待し得ない状況で、かつ、残存する症状が自然的経過によって到達すると認められる最終の状態をいうものであるから、医師により症状固定の判断がなされた限り、医学的には可能な医療的措置を終了したものとして、症状固定後における治療に当該負傷に対する治療効果を認めることができないはずであって、一般的には、その治療と加害行為との間に相当因果関係を肯認することはできないものというべきである。

右のとおり、症状固定の診断は純粋医学的見地からなされるものであるが、症状固定により残存する後遺障害、ことに重度後遺障害の場合は、被害者の死亡の場合と異なり、重度後遺障害を負担しながらも、受傷者が最低限人間としての営みを継続できることが前提とされているのであるから、当該治療により後遺障害の軽減はもはや期待できないまでも、当該後遺障害の程度を維持、継続し、あるいは、後遺障害により限定された肉体的資源を活用することにより、当該後遺障害の範囲であっても、なお、機能回復が可能な場合は、これに要する医学的措置は、その目的、期間、治療内容、程度において相当と判断される範囲内では、当該加害行為と相当因果関係を有する治療行為というにしくはないと考えられる(被告らは、相当因果関係を肯認するためには、治療の目的が後遺障害の症状の悪化を防止し、生命の維持をはかるものに限られる如く主張するが、かく限定的に解する根拠に乏しいというべきである。)

これを本件についてみるに、第二の一(基本的事実関係)の4の事実(事案の概要)に甲第一ないし第四号証、第一二ないし第四二号証、第四六ないし第四八号証の各三、乙第一九ないし第四六号証を総合すれば、米田(昭和五六年二月一七日生)は、本件事故により右側頭骨(耳)に達する頭蓋骨骨折、右脳挫傷、脳内出血を受傷して三木市民病院に入院したが、意識障害が遷延して水頭症を合併し、昭和六三年一〇月七日にシャント手術、また、同年一〇月二八日に頭蓋形成術を施行されたが、左片麻痺、精神症状、視力障害を残し、主としてリハビリテーション治療を目的として平成元年一月五日以降センターに転医し、その傍ら、平成元年九月一一日から同年一〇月三日までは頭蓋形成術のため、平成二年二月六日から同年三月一七日まではシャント感染による再建術のため、同年五月三一日から同年六月三〇日までは発熱、全身けいれんに加え、髄膜炎シャント感染によるシャント抜去術と抗生物質投与のため、それぞれ三木市民病院に再入院したこと、米田の後遺障害と症状固定日は事案の概要に掲記したとおりであるが、その具体的状況は、左弛緩性片麻痺があり、左上肢では肩、肘、手関節部の拘縮により機能は全廃し、左下肢は弛緩性のため体重を支えることができず歩行不能であり(半介助のもと車椅子を使用)、脳挫傷による視野の狭窄のほか動眼神経麻痺による眼球運動の障害があり、頭蓋骨折が右中耳、内耳に及んだため右聴力がやや低下し、さらに、脳挫傷と水頭症(脳萎縮)により高次精神機能が低下して五、六才の能力で停止し、症状固定後もけいれん発作が稀に見られ、平成五年四月一日以降は全身けいれんを含むけいれん発作が頻回に発現するため抗けいれん剤を常用していること、当事者間に争われる本件保険給付の対象となった治療のうち、平成三年九月から平成五年四月までの治療内容は別紙のとおりである(平成三年五月から八月の治療についても右と遜色がないと推測できる。)が、その中心をなすセンターにおける治療、すなわち、理学療法は、米田の左下肢は実用的な歩行はできないものの、右上下肢を用いて屋内移動が可能なためその能力を獲得させるため、作業療法は、同人の左上肢の肘屈曲、手関節、手指屈曲拘縮が非常に強いことにより徐々に拘縮を除去するため、言語療法(摂食指導を含む。)は、左片麻痺によって咽頭筋、喉頭筋の協調関係がうまく行かず、誤飲による肺炎併発等を回避するために、いずれも必要とされる療法であること、一般人ならば比較的軽度で日常的な疾病と思われる感冒、湿疹等も本件の後遺障害がいわば基礎疾病と同様の作用をなして発症したもので、本件事故により諸機能が低下した米田の場合は、思わぬ疾病として拡大する可能性があって、米田の状態を的確に把握し得るセンター、三木市民病院の医師のいずれも治療の必要性を肯認していること、以上の事実が認められる。

右認定事実に基づき検討すると、症状固定後の米田に対する本訴請求に係る医学的措置は、基本的にはリハビリテーションを基本に据えたものであることを疑う余地はないが、後遺障害から不可避的に生ずる疾病である感冒、湿疹等の医学的措置を含め、それは、同人に対する後遺障害の程度を維持し、その下に人間としての最低限の機能を維持するための身体的、精神的更生指導の一環として必要とされるものであって、なお、本件事故と相当因果関係があるというのが相当である(このように、症状固定後の医学的措置のうち、いかなる範囲、時期までの分が本件事故と相当因果関係にあると判断すべきかは、それ自体かなり慎重な個別判断を要する問題であるが、少なくとも、本訴請求に係る治療の範囲内では、その後遺障害の程度、症状固定の時期、治療期間、治療内容に即し、本件事故との相当因果関係を肯認すべきものと考える。)。

三  争点2について

健康保険法六七条一項は「保険者ハ事故ガ第三者ノ行為ニ因リテ生シタル場合ニ於テ保険給付ヲ為シタルトキハ其ノ給付ノ価格ノ限度ニ於テ保険給付ヲ受クル権利ヲ有スル者(当該事故ガ被保険者ノ被扶養者ニ生ジタル場合ニ於テハ当該被扶養者ヲ含ム次項ニ於テ之ニ同ジ)カ第三者ニ対シテ有スル損害賠償ノ権利ヲ取得ス」と規定しているが、その趣旨は、第三者の行為により生じた事故に対して保険者が保険給付を行なえば、被保険者(被扶養者を含む。以下同じ。)は実際には損害を補てんされたことになるから、その限度において、保険者が被保険者の第三者に対する損害賠償請求権を代位取得することを認めたものである。したがって、第三者と被保険者の示談契約により被保険者が保険給付の対象となる部分を含めた損害を放棄・免除するなどして損害賠償請求権を消滅させた場合は、その後健康保険組合が保険給付をしても代位の目的を欠くから、給付に係る被保険者の第三者に対する損害賠償請求権を代位取得する余地は存しないが、示談契約により放棄・免除された損害賠償請求権が保険給付の対象となる損害賠償請求権を包含しない場合は、健康保険組合は当然その給付に係る損害賠償請求権を代位取得するものというべきである。

これを本件についてみるに、甲第四五号証の三、乙第一ないし第六号証によれば、米田は、本件事故後の治療費については原告から継続的に保険給付を受けているが、それでも月額約八万円程度の自己負担分があったこと、原告は、米田の過失相殺率が四割であることを前提に既給付保険額の六割を被告会社に求償し被告会社もこれに応じていたこと(事案の概要参照)、本件示談交渉は米田の症状固定を待ち、米田、被告西田双方とも代理人として弁護士が関与して開始されたが、米田側は「症状固定後も症状悪化を防ぐため治療を継続しなければならず、引き続きセンターでリハビリ中であるが、これに要する治療費として過去六か月間一か月平均八万二〇〇〇円を支出している。よって、今後成人に達するまでの一〇年間一か月八万二〇〇〇円の割合による治療費として九八四万円」を請求したこと、これに対し被告西田側は、一か月八万円の割合による一〇年間の治療費として七六二万七二〇〇円を算定したこと、米田の症状固定日の翌月である平成三年六月から本件示談成立時である平成四年一〇月末までの原告の保険給付額は月額平均三一万円に達しており、被告西田側の算定した治療費は原告による保険給付を含まない米田の自己負担分の請求に係るものであったこと、本件示談契約の条項は前記のとおり(事案の概要参照)であるが、米田側は、症状固定後も相当な期間は原告による保険給付が継続されることを前提に本件示談契約に応じたものであること、以上の事実が認められる。

もっとも、本件示談契約書一、二項の文面を形式的、表面的に読む限り、米田はセンターにおける平成四年一〇月三一日以降における保険給付の対象となる治療費損害の一切の請求権を放棄したものと見られないでもないが、右認定事実によれば、本件示談契約は、症状固定後の治療費に関しては、米田の自己負担分のみを対象とし、原告による保険給付の対象となる治療費損害を除外して締結されたというのが相当であるから、これと異なる前提に立脚する被告らの抗弁は理由がない。

(なお、原告は、被告会社に対する遅延損害金請求の起算日を平成五年九月一二日としているが、被告会社の原告に対する損害賠償支払義務の履行期は、原告の被告西田に対する本訴請求に係る判決が確定したときと解すべきであるから、被告会社の右義務の履行遅滞に基づく遅延損害金の発生時期は、右判決確定の日の翌日と解される。)

第四  結論

よって、原告の被告西田に対する本訴請求はすべて、被告会社に対する本訴請求は主文掲記の限度で理由があるので認容するが、仮執行宣言は相当でないので付さない。

(裁判官 渡邉安一)

別紙〈省略〉

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